2日前の夜半、母方の祖母が息を引き取りました。
晩年はアルツハイマー型認知症が悪化し、病院に入院してお世話してもらっていました。
最期は老衰による穏やかな旅立ちでした。
89歳の大往生です。(90歳の誕生日まで10日ほどでした)
祖母とのお別れ
1ヶ月前から自力で食事を摂れなくなり、少しずつ意識も無くなっていっていたみたいです。
亡くなる2日前に入院先の病院から危篤の連絡があり、祖父と母、妹は駆けつけて亡くなる前に顔を見ています。
私は息を引き取った翌日に祖父母宅へ行きました。
(自宅安置していたため)
薄情な孫娘だと思われるかもしれませんが、私なりにもう祖母とお別れはして気持ちの整理はしていたので病院には行きませんでした。
訃報に聞いたとき、悲しいという感情は湧いてきませんでした。
やっと楽にしてあげられた、肩の力が抜けました。
虫の知らせ
皆さんは虫の知らせを経験したことはありますか?
祖母が亡くなる10日ほど前にふと気がつくと祖母のことが頭にちらつくことが数日続いていました。
直観的にもう祖母とのお別れが近いのかもしれないと感じました。
6年前に当時実家で飼っていた犬が亡くなったときと同じ感覚でした。
当時、私は主人と結婚してスロバキアに移住していたため、愛犬の最期には会えていません。
私は霊感がないため、確信的な何かが見えたり感じたりした訳ではありません。
6年前に感じたものと同じもの、これが虫の知らせというものでしょうか?
死生観の違いなのかしら?
祖母がなくなったことを私はすぐには私の主人には言い出せませんでした。
ひどくショックを受けるのが分かっていたから。
私は日本人と西洋人とで死生観が大きく違うと感じます。
それは宗教の教えによるものが大きいのでしょうか、でもそれだけではないような。
遺体の自宅安置も主人は「怖くないの?」と言っていました。(怖くないわと即答)
カトリックでは、魂の抜けた遺体を放置すると悪霊や悪魔に体を乗っ取られると言われているそう。
故人を自宅に引き取るなんて考えられないようです。
そもそも、あちらは土葬ですしね。
小さな小さなお葬式
祖父の希望で祖母の遺体は2日間、自宅安置の後に斎場にて火葬してお骨拾いをして終了しました。
お通夜も告別式もなし。これも祖父の意向。
家族だけで見送るのに余計なことはしない。
祖母を想う気持ちがあればそれで良いと私も思います。
周りから見たら普通ではないのかもしれませんが。
形見分けの黒真珠
形見分けとして、黒真珠のペンダントをもらいました。
普段からジュエリーを身につけることはほとんどなかった祖母が所有していた数少ないもの。
真珠は守護や邪気払いの力があるとされているので、お守りとして大切に身につけようと思います。
死に教わる儚さ
生命力煽れる1歳児を育てながら、命尽きた祖母と過ごした時間。
やはり家族の死に直面すると、残りの人生で私は何がしたいのか、どう生きるのかをきちんと考えたいと思わされました。
余裕のない日々の生活に流されて、生きていることが普通として捉えている毎日に苦言を呈するように。
このブログを書いているとなんか涙が出てきてしまいました。
おばあちゃん、またね。