スロバキアでは年々、物価が上がっています。そして、物価の上昇に比例して住宅価格も高騰しています。
40年を経て、義実家の現在価格
義実家は40数年前の社会主義時代に当時の政府から無償で与えられたものでした。
面白いのは、当時の政策に伴い、建設されたアパートに義両親と同じように多くの新婚の若い家族が同時期に入居。そのため、今でも義実家のアパートのご近所さんは義両親と同世代、または主人の同級生が多いのです。
そしてこのアパート、今では日本円で1300万円の販売値だそうです。下の階に住むおじいさんに聞いたのですが、驚きすぎて数字を聞き間違えたかと思って聞き返してしまいました。
ちなみに10年前は330万円ほどの価格だったそうです。スロバキアがEUに加盟して以降、通貨もコルナからユーロに変わり、ここまで大きく変わるもんなんですね。
日本の物価からすると安く聞こえるかもしれませんが、スロバキアの物価からすると非常に高いです。
義実家があるのは地方都市のアパートで2LDK(トイレと洗面所バスタブが別、バルコニー付き)です。
主要都市の都心のアパートになるともっと高額。確か、ウィーンのアパートより高額になっているとの噂です。
分譲か賃貸か
スロバキアの住宅は日本同様、分譲も賃貸も存在します。
見聞きした感じでは、都会に住む若年層は賃貸が多く、年配の方は分譲が多い印象です。
もちろん、ローンを組んでアパートを購入する人もいますし、中古物件を購入してリノベーションする人もいます。
地方の村とかだと、土地を購入して家を建てることも一般的のようです。
家は家族の物語
昔は親から土地を譲り受けて自分たちで家を建てていたスロバキア人。
今、私たちが住んでいる家も主人の曾祖父から祖母が受け継ぎ、祖父と友人たちにより建てられました。
祖父母の亡き後は主人の母(私の義母)を含む三姉妹が共同名義で相続、その後いろいろありまして、(壮絶なので今回は割愛します)
現在は主人が家と土地全てを相続しています。
都会に住む人であっても、故郷に親から相続した家を所有する人は多く、サマーハウスとして使う人が多いです。
家を継ぐことは物語の続きを書くようなものなのかもしれません。
名義変更はデジタルシステムで管理
義父が脳内出血で入院、介護施設に入所して以降、判断能力・認識能力が著しく低下していたため、トラブル回避のため義父名義の不動産を息子である主人名義に変更する手続きを行いました。
このような手続きは生前贈与に値するのか分かりませんが、スロバキアでは税金はかからず、成年後見人制度の手続きとオンライン上での名義変更手続きと手数料が必要でした。
オンライン上の名義変更手続きはIDカードだけでログインでき、役所に出向く必要もなく、進捗状況も確認できるデジタルシステムでした。
これで主人名義の不動産は5つになりました。
端から見れば、羨ましく見えるかもしれませんが、そんなに人生は単純ではありません。
実家はごみ屋敷
題名にも書いていますが、施設に入居した義父が残したのはごみ屋敷でした。
恥を晒すの覚悟で書きますね。不快に思われる方は読み進めるのをお控え下さいませ。
冒頭に出てきた義実家ですが、ここも現在はごみ屋敷となっています。何とか時間を割いてはゴミを捨てていますが、もう無理。
主人の仕事が軌道に乗り、スロバキアに戻ってきたら全面リフォームを考えています。
義母が生前、義父の自分勝手な言動を危惧し、息子が将来路頭に迷わないようにと義実家のアパートの名義をこっそり主人の名義に変更していました。(ほんまにお義母様グッジョブ)
義父の生家も実は義父が相続していまして、ゴミ屋敷状態になっていました。
所有が正式に主人になったこと、義父が施設に入所したことで親戚たちにも手伝ってもらってゴミ屋敷の清掃をしてきました。
状態としては、ゴミ屋敷としてよくテレビで流れている映像をイメージしてもらえれば。
大量の服に、チラシの山、棚の中には履き古された靴が溢れかえっており、中には主人が小学生の頃にお気に入りだったスニーカーもありました。つまり30年かけて集められたゴミの山。
数日かけて行いましたが、まだまだ終わらず。ゴミ屋敷との戦いは続きます。
朝から日が暮れるまでゴミの中にいると悪い気を吸って、体調も精神状態もおかしくなってきました。
結婚前からこのゴミ屋敷の存在は知っていましたが、恋は盲目とはよく言ったもので、「大丈夫!私も手伝って片付けるから!」と思っていた過去の自分をぶん殴りたい気持ちです。
日本でよく言われる「物の怪」、まさにそういったものを感じずにはいられませんでした。
因果応報、だからこそ
ゴミ屋敷になっていく過程で、義父の姉弟、姪などが義父に助けの手を差し延べようとしても義父は言葉の暴力だけでなく、手も出していたようです。そして段々と疎遠に。
周囲の人間に対し、(一人息子である主人にも)馬鹿でろくでもないやつばかりだ。と常々言っていたそうです。
他人に優しく接することなく、感謝することもなく、不満ばかり。その言動が全て自分に返ってきていると義父を見ていて思うのです。
ゴミ屋敷の整理は辛いことです、どうして私がという気持ちも正直あります。でもそれでは私も不幸になってしまう。
いつかまた義実家のアパートのリビングで家族団らんができることを信じて、少しずつでも前に進みたいと思います。