ベトナム旅の振り返り、今回は旅の記録編です。
私たちはハノイ→ビンイェン→サパ→バックハー→ハノイ→ダナン→フエ→ホイアン→ニャチャン→ホーチミンと南下しながら、3週間かけてベトナムを縦断しました。
まず、ハノイから北上して北ベトナムの地方に行くことに。

Sapa サパ
高原地に広がる棚田とそのに住む少数民族が有名なサパ。ハノイからビンイェン、ラオカイを経由し、列車とバスを乗り継ぎやっと到着。

近年になり電気が通り、急速な観光地化が進んだようです。
少数民族の村で同じく観光で来ていたチェコ人のグループと遭遇しました。おもむろに始まる同胞井戸端会議。
歴史的背景からチェコ人とスロバキア人はお互いに兄弟と呼び合います。
数年前までベトナムに住んでいたという一人のチェコ人女性が残念そうに気持ちを吐露し始めました。
ほんの数年前は観光地化されておらず、昔ながらの人々の生活が見られて素敵なところだった。それで今回、友人たちと再度訪れたの。でもすっかり変わってしまっていて残念だわ。入場料は取るし、観光客のためにお土産まで売っていて興ざめよ。

観光というビジネスで消えた本来の村の姿。
複雑な気持ちを抱えたまま、村を後にしました。
Hue フエ
ベトナムの古都、フエ。かつてグエン朝の都として栄えた土地で風情ある歴史を感じられます。
歩きすぎて足が棒に。確か2万歩以上歩いていました。


Nha Trang ニャチャン
来るまで地名すら知らなかったのですが、旧ソ連時代からロシア人の避寒地のリゾート地として人気だそうです。
ロシアからニャチャンへ直行便が就航しているそうです。
街の至るところに宝飾店(特に金!)がありました。バケーションでニャチャンでビーチを楽しんで、宝飾品を購入するのがロシア人お決まりのコースのようです。
観光客のほとんどがロシア人でここはロシアかと見まごうほど。
どのくらいですかって?スロバキア人の主人が違和感なく紛れていたくらい。

ビーチ沿いには多くの高層ホテルが建設中でした。これからさらにリゾート地として発展していく予感。

深夜にホーチミン到着し、翌日の午後には日本へ帰国します。
3週間の疲れが溜まり、観光する気力を失っていたので、ベトナム滞在最終日は少し街を歩いてアイスクリームを食べて英気を養い、空港へ向かいました。
ベトナムで経験した二大事件
その1
ハノイで主人が路上でぶっ倒れてしまったんです。(貧血と東南アジアの湿度と暑さに慣れていないことによる熱中症)
救急車を呼びたくても、言葉が分からず、パニックになっていると、偶然英語が話せるベトナム人の青年が声をかけてくれました。彼が救急車を呼んでくれて別れ際にはまた困ったことがあればいつでも連絡して、と彼自身の電話番号を紙に書いて渡してくれました。ありがとうとしか言えなかった自分が情けなかったです。
その2
地方のホテルに着いてチェックインの際、フロントの人にパスポートを預けるように言われました。大事な身分証明証を渡すことはできないと拒否すると、向こうも折れず、揉めていると、救世主登場。(以下、AさんBさん)
偶然、このホテルの宴会場の利用客が仲裁に入ってくれました。英語が分かるAさんに主人が事情を話し、それぞれが話せる言語で通訳して伝言ゲームのように交渉が始まりました。
主人 英語のみ
Aさん 英語、中国語
Bさん 中国語、ベトナム語
フロントスタッフ ベトナム語のみ
交渉の結果、無事パスポートを渡すことなくチェックイン完了!
(これはこれでどういうことよ?)
AさんBさんにお礼を言うと、握手を交わし、良い旅を!と爽やかに去っていきました。
何度もぼったくられそうになり、人を信用するのが嫌になる経験もしましたが、それ以上に人の優しさに助けられました。とにかく本当に運が良かったです。
(旅の過酷さから、辛くて滞在1週間で日本に帰りたいと、本気で泣きました)
ローカルでディープなベトナムが見てみたいという主人の願望を叶えるべくして始まった大人の大冒険。
主人がベトナム人(ベトナム生まれ12歳以降チェコ育ち)の知人にこの旅行の経験を話すと、よく個人で何事もなく、そんな旅ができたね…僕ならしないけど!と彼に言われたそうです。
安全でゆっくりした旅行をしたいのであれば、旅行会社を通すことを私は強くおすすめします。
ですが、もしあなたが大人の大冒険がしたいのであれば、ぜひ参考にしてみて下さいね!