日本に着いて一週間が経ちました。
時差ボケと旅の疲れもだいぶ癒えてきたように思いますが、「日本に住む」ための手続きや生活用品の買い物などに忙殺されています。
日本への旅路
現在、ヨーロッパの主要都市の国際空港ではチェックインカウンターやセキュリティチェックに長時間並ぶ事態となっているようですが、私たちは東スロバキアの小さな地方空港(これでも国際空港)から出発だったので、特にそのような心配もなく、逆にフライト1時間前にチェックインカウンターが開きました。
私たちの旅のスケジュールは以下。
コシツェ→ワルシャワ→ソウル(仁川)→大阪
ワルシャワで一泊し、ワルシャワからソウルまでは10時間半のフライトでした。
通常はロシア上空を飛行するのですが、案の定路線変更していました。

ヨーロッパからアジア圏へのフライト、どのくらいの乗客がいるのかと思っていたのですが、ほぼ満席。
(エコノミーの空席は5席ほど)
乗客の9割8分が韓国人でした。
マスク着用のルールの変化
コシツェからワルシャワの機内ではキャビンアテンダントを含めて誰もマスクは着用していませんでした。
ワルシャワからソウル(仁川)の機内では乗客のうち韓国人のみマスク着用。
ソウルの空港に降り立った瞬間にマスクを着けるように声をかけられ、ソウルから大阪(関空)の機内ではマスクを着用するように促されました。
日本に近づくにつれてマスク着用のルールが厳しくなっていました。
ワルシャワで一泊したにもかかわらず、やはり飛行機3本乗り継ぎは大変でした。
ソウルの仁川国際空港に着いて関空(大阪)への渡航。疲れきっており、もうすぐ日本だという気力のみで空港内を移動。

ドキドキの入国
最も恐れていたのは、日本到着時の入国拒否。
渡航前に入念に書類確認をしてきましたが、全て揃えてはいるものの、最後まで不安な気持ちは拭えず。
飛行機からおりてから通常ならトラムで入国管理のところまで移動するのですが、現在は書類提出や事前登録したアプリケーションのORコードの読み取りをしながら300mほど徒歩で移動します。
流れ作業に言われるままに書類を見せて進んでいき、主人は在留カードを発行してもらい、ついに入国ゲートをくぐりました。
スロバキアから飛行機に乗ってから日本(大阪)に着くまで33時間かかりました。
(時差の7時間差し引いてます)
住むということ
今回は一時帰国ではなく、生活拠点を日本に移したため、やらなければいけないことが山のようにあります。
自宅に到着した翌朝には区役所に住民票の登録に行きました。
主人の就職先からは経理の関係でできるだけ早く銀行口座を開設するようにプレッシャーをかけられていたので、最寄りの銀行へ走りました。
そして無事に口座開設ができましたが、所要時間なんと2時間。
パスポートに在留カード、住民票に雇用契約書、あらゆる身分証明書や個人情報の塊の書類を見せて。
スラヴ人の人名は長く、日本人には馴染みがなさすぎて、何度も間違えられては訂正しました。(分かるよ、舌を噛みそうになるの)
主人の代わりに全て私が対応しましたが、このような手続きを外国人が一人で行うのは非常に難儀なことだなと改めて思いました。
私がスロバキアで手続きするときは全て主人が対応してくれていたので、反対の立場も経験していますが。
そして「お待たせして申し訳ありません」と謝る日本人の職員。こちらが申し訳なくなりました。
スロバキアだと向こうが何か間違えようが謝りませんからね。
念願の日本生活が始まる
主人の職場へ挨拶に伺っても基本在宅ワークが継続しているため、ほぼ同僚の方々には会えませんでした。
日本でもしばらくは在宅ワークが続くので主人の仕事用デスクや今後の生活で使う家具を購入したりと生活環境を整えている最中です。